【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記

一浪東大0.6点差落ちが、早稲田理工で仮面浪人し、ドイツ語を使って東大理一に受かったお話

Episode 2: 一浪時代~東大0.6点差落ち~

1学期

河合塾本郷校のハイパー東大理類コースに入塾しました。

現役の反省として、数学と物理の勉強が付け焼刃で、入試本番という極度の緊張感の中では太刀打ちできないというのが最大の問題でした。大学に入学して理系の人間として生きていくなら、その基礎となる高校数学・高校物理は根本から理解していなければならないと考え、時間はかかっても河合の授業についていき、解法暗記ではなく、基礎の思考力を養おうと授業に臨みました。

授業は9時からですが、毎日8時5分ごろ登校し、303教室の一番左の列の前から6番目に座る。眠気覚ましがてら、授業まで化学の新演習をやる。そんな感じで淡々と授業についていき、割と順調に1学期が終わりました。

そういえば浪人友達はみんな駿台に行ってしまったので、河合ではずっとぼっちでした。

ぼっちでも大丈夫な人間()なので、特に問題はなかったです。

月1くらいで、友人たちとサイゼで駄弁るのが人とコミュニケーションを取る唯一の機会でした。

 

夏は講習を全く取らなかったので、ひたすら自宅と近くの図書館で勉強していました。

メインは1学期の河合のテキストの復習で、数学・理科はとにかく典型題を網羅したテキストを何度も何度も解いて、基礎の土台を磐石なものしようと努力しました。他には理科過去問、センター国語、地理などをやっていきました。

朝10時ごろおきて、フルーツゼリーだけ食べて、夏のかんかん照りのアスファルトの道を歩いて、近くの図書館へ。図書館では主に過去問など時間を計って集中してやる系をこなし、14時ごろになると本屋の参考書コーナーに立ち寄ったり、スーパーをうろうろしたりしてから帰宅し、ご飯を食べ仮眠をとります。そして18時ごろから自宅で勉強を開始し、深夜2時ごろ就寝。おそらくこの夏休み前半が受験生活の中で最も健全に勉強できていた時期だと思います。

 

そして東大模試の季節へ。結果は

第1回東大実戦

英語 50

数学 55

国語 --

物理 27

化学 18

総合 200台 ( A )

 

第1回東大オープン

英語 62

数学 62

国語 --

物理 28

化学 27

総合 210台 ( A )

 

と、実戦は微妙ですが一応両方A判定と、まずまず満足いく結果を出すことが出来ました。

このまま成績が伸びていけば、間違いなく合格できる、そう思っていた時期が私にもありました。()

 

東大模試が終わった8月後半、それまで頑張れていた反動からか、机に向かうのが辛くなってきました。1日平均5時間程度しか勉強できていなかったと思います。そんな感じで少し不安を残しながら、勝負の夏を終えました。

 

2学期 ~スランプ~

1学期と同じように淡々と過ぎていきます。河合の授業も演習が中心になっていきます。

しかし、この時期からなぜか変なケアレスミスが増えてきました。また、勉強しようとすると頭が重くなり、あまり集中できない日が多くなりました。原因は何だったのかよくわかりません。夏の東大模試でA判定が出て安心してしまったのか、元来長時間勉強できない自分が4月から頑張ってきた反動で疲れてしまったのか。

もしくは「焦り」だったのかもしれません。地力のなさを露呈した現役の入試の反省から、時間がかかってでも目の前のその1問を確実に完答できるように取り組んできました。夏までに基礎を固めた結果、解ける問題は格段に増え、比例して点数も上がってきました。

しかし、試験時間内で解ける量の上限まで成長してしまったので、あとはいくら解ける問題が増えても、点数自体はかわらず、成績が上がらなくなる時期に入ったということでしょうか。それが焦りに変わったのかもしれません。

 

そんな不安定な状況で秋の東大模試シーズンを迎えました。

第2回東大実戦

英語 48

数学 44

国語 25

物理 14

化学 32

総合 163 (D)

 

第2回東大オープン

英語 57

数学 44

国語 22

物理 35

化学 20

総合 178 (C)

 

ど う し て こ う な っ た 。

数学はケアレスミスで大問まるごとふっとぶ、解けたはずの問題を後回しにしてしまうなどで崩壊。

物理も水平面の問題でなぜか鉛直面だと勘違いするなどミス多発で崩壊。

地力は確実についてきてたはずです。なのに試験では何かうまくいかない。この言葉は負け惜しみみたいで使いたくないですが、正直スランプだったと思います。

 

センター試験

そんなかんじであっという間にセンター対策を始める時期がやってきます。

困ったのはやはり、センター国語です。最大の問題は時間不足です。漢文から、古文から、評論から、などなど解く順番を試行錯誤しましたが、どうやっても最後の大問を解く時間が5分くらいしかなくなってしまいます。

ということで、仕方なく古文を捨てることに決めました。実は古文は本文を読まなくても単語・文法の知識だけで答えられる問題が半分ほどあります。そこだけはしっかり答えて、残りの読解問題は、近年の答えの傾向を分析して、全て「4」にマークすることに決めました。これで25点程度稼いで、残りの大問1,2,4で時間を使って高得点を取る、という戦略にたどり着きました。

他の科目はまあそれなりに過去問等で対策しました。

 

センター1日目

地理を無難に終えた後の昼休み、急いでおにぎりとフルーツを食べ、心を落ち着かせるため広大なキャンパスを散歩した。大丈夫国語の過去問は誰よりもやったと心で唱える。

そして国語。悲劇の始まりである。

予定通り漢文⇒論説⇒小説の順番でやったが、なにか思考が噛み合わない。昨年の2次の物理の時のような、ふわふわした感覚に襲われながら解いていく。そして、いつもは絶対時間ぎりぎりになるはずが、古文に15分ほど時間が残った。予定外ではあるが、古文に本腰を入れる。しかしここで、古文が分量は多いが信じられないほど易化していることに気づく。焦って読むが、分量は多いため全然解き終わらない。読解問題は全て「4」にマークする予定だったが、最初の1,2問は解く事ができて、どちらも「4」であったから、解ききれなかった残りの問題は「4」以外の数字で適当にマークした。試験終了。

結果から先に言うが、なんとこの年は古文の読解問題の答えは、1箇所を除いて全て「4」というまさかの偏りだった。しかし、中途半端に解く時間があったせいで、大半を「4」以外にマークし、大きく点数を落としてしまった。皮肉にも、予定通り全く文章を読まずに全て「4」にマークしていれば高得点であったというなんともいえない結果となってしまった。

そんな偶然に頼るなよと言われたらそれまでだが、それにしても運に見放されていた

古文以外も嫌な予感どおりボロボロと失点し、どの大問も40点を切るという事態となった。

1日目試験終了後、採点はせずとも超易化した国語でやらかしてしまったと悟っており、吐き気がするほど苦しかった。

21時過ぎに東進の解答速報が出て採点。結果は国語133。初日全体で99失点という悲惨な結果となった。

浪人友達のLINEグループで出来る限り悲壮感がでないように国語の大失敗を伝え、励ましの言葉をもらい、早めに就寝。

 

センター2日目

1日目がちょうど99失点だったので、2日目は出来る限り1失点以内でいって800点台をキープしようと勢いを持って臨む。

その意気込みのおかげか、IAを満点でしのぎ昼休みへ。

前述の通り私は解くスピードが遅いので2Bは鬼門です。

かなりの意気込みでⅡBスタート。頭の回転がフルスロットルで、解いている自分が自分ではないような感覚に陥る。

順調に進んだが、最後のベクトルで躓く。ぎりぎり最後までマークしきって試験終了。

しかし、その後の休憩時間で、ルート6と書いていたところが計算ミスでルート2ではないか疑惑が生じる。よくわからない。LINEで狼狽する。

切り替えて理科へ。

化学が明らかに難化していたが何とか堪え、試験終了。

 

自己採点は780/900。国語の大失敗がありながら、なんとか足切りは問題なさそうな点数で落ち着き、2日目を21失点で乗り切った自分を少しほめる。

(この時、ⅡBのルート6のケアレスミスで失点した6点が後々大きな意味を持つことは知る由もなかった)

その日の夜は、早稲田・慶應の願書を書き、2時ごろ寝た気がする。

 

 直前期

センター翌日。この日のことは鮮明に覚えている。なぜならば、大雪だったから。

電車はダイヤが大幅に乱れていたので、通勤する父親の車に同乗し河合本郷に向かう。

時間通りに着いたが、時間の9時になっても、100人以上いるはずの教室には10人かそこらしかいなかった。

その後河合本郷から神保町へ移動。相変わらず電車は激混みで、3本ぐらい待ってようやく乗れた。神保町駅に着くと、まず私立の受験料の支払いのため銀行へ。それから出願のため郵便局へ。この時、調査書を早稲田と慶應で逆に入れてしまったのではないかと不安になる。

出願を済ませ、駿台2号館へ向かい、センターリサーチを提出。

 

その後は東進の東大模試を受けたり、国立前期・後期の出願を決めたりしつつ、2次対策を進めていった。

理1or理2は激しく迷ったが、結局背に腹は変えられないとのことで理2に出願。

後期も北大or横国で迷い、結局北大に出願。

(後から考えれば、この迷っている時間で勉強していれば、、、)

 

必死に2次対策をしていたと思うが、正直この時期どんなことをやっていたか全然覚えていない。

講習等もほとんど取っていなかったはずだし、家か図書館に篭って勉強していた。

 

そして、あっという間に2/12、慶應理工の入試日を迎える。

会場は、コンクリートむき出しで殺風景な、狭い教室の最前列。

最初は理科。交流発電機が出たり、東大では出ない高分子の細かい知識が聞かれたりしてビビったが、無難にまとめる。

数学。難しい。計算が重く、複素数が難しい。微妙な出来に終わる。

最後は英語。英語はグノで培った多読がモロに活きる典型的な長文問題ばかりの私立型なので、高得点が期待できた。本番も特に問題なく、満足な出来で終えた。

試験終了直後は、まあ受かっただろうなと思っていた気がする。

そのままの足で帰宅するとラッシュ直撃になってしまうので、武蔵小杉のサイゼリアで少し時間をつぶしてから帰った。

帰って自己採点をすると、物理・数学で細かいミスが多発していることが判明。こんなんで東大受かるのか、と自信が揺らぐ結果となった。

 

続いて2/16、早稲田理工。

昨年と同じく、混雑を見越して高田馬場駅から本キャンに歩いて向かった。

予め断っておくが、後々この大学に入学して1年間お世話になるにもかかわらず、入試のことはなぜかあまり覚えていないのです。

割と広めの教室。

最初の科目は数学。難化した昨年に比べると、かなりの易化。し、か、し、全然解けない。早稲田理工の数学は相性が悪い。難しめのはずの整数を時間をかけて完答したものの、超易問の大問を空間図形だからという理由だけで捨ててしまう。他は完答なくそれなり。

続いて理科。事件発生。物理が超絶難化。計算が重過ぎる、設問数が多すぎる。とても60分で解ける代物ではない。全然解けずに化学へ。化学は無難にこなして終了。

理科が終わった瞬間、不合格を確信した。しかし、大教室の受験生の雰囲気が明らかに重くどんよりしていた。なのでワンチャンあるかもとは心の底で思っていた。

英語。大問1、2の長文問題をじっくり解く。残り時間で他の文法やパラ整など解けるとこから点を掻っ攫っていく。試験終了。

帰宅する時の記憶が全くない。不合格を確信して意識が朦朧としていたのだろうか。

早稲田に落ちること自体よりも、早稲田に落ちるやつが東大に受かるわけがないという絶望感が強かった。

 

東大  二次試験

2/25 1日目

5時半ごろ起床。念のため早めに家を出る。

使い慣れた春日駅で一度下車し、いつものホーム端のベンチで気持ちを落ち着けてから、本郷三丁目駅へ向かう。

現役の時とは違い、今年は龍岡門→2食前臨時ゲートというルートでキャンパス入り。当然少し時間はかかるが、ゲートまで歩きやすいまっすぐの並木道が続いており、受験生もほとんどいなかったため、朝の散歩感覚でリフレッシュすることが出来た。

 

まずは国語。いつものように漢文から解き始めるが、なんと漢詩。一応対策はしていたつもりだったが、内容も難しく、満足な解答は作れなかった。この時、漢詩の失敗が後々大きな意味を持つことは知る由もなk(ry

古文、現代文は無難にまとめて昼休みへ。少し疲労を感じたので、30分程度寝る。

そして数学。とりあえず確率から…と巴戦の問題から解き始めるが、20分かけても一向に成果が上がらず....といったあたりからあまり記憶がない。

試験終了後、どっと疲労感が押し寄せる。頭痛が痛い。ダメっぽいけど足掻いてるのが一番疲れるのかなと思いつつ。フラフラになりながら帰宅。夕食後も倦怠感が続いていたので、体温を測ってみると、37.5℃。この本番で体調不良かよ…と絶望しつつ、22時ごろにはなんとか就寝。

 

2/26 2日目

8時間ほど寝れて、体温も平熱に戻る。とりあえずは安心したが、1日目夜にしようと思っていた最後の詰め込みが出来なかったのが一抹の不安。1日目と全く同じルートで会場入り。

 

理科:いつものように割と得点源にしていた有機から解き始めるも、難しい&重たい問題で時間を無駄に浪費する。河合塾の講評にも「今年は第3問の有機の問題が難しかったので、有機から解答した受験生は不利になったと思われる」とあり、センター古文に続きここでも運がなかった。物理は交流が出たり若干イレギュラーだったものの、ボロボロだった昨年とは違いまずまず地力を出せた。

 

英語:昨年と同じくらい難しい。手応えなくあっという間に試験終了。

 

LINEの履歴に残っているリアルな感想としては、

・良い科目が1つもない

・もうちょっと出来るのかなと思ってた

・そんなに開放感がない

なんてことを思いつつ帰宅。

早稲田の合否を確認。正直厳しいと思っていたが、合格。よくわからない。

 

合格発表までの期間は、浪人友達と遊んだり、再現答案を作りながら自己採点をしたり、後期の勉強をしたりしていた。当時は「当選確率3割の宝くじの結果を待つイメージ」だったらしい。

 

3/10 合格発表

自室の勉強机に座って、サイトの混雑により携帯サイトから確認。番号はない。散々待った割には、なんだかあっけなかった。

LINEで浪人仲間に不合格の旨を伝えると、一緒に東大を受けた二人から合格の報。祝福のコメントをしたが、当然人間なので心の底からお祝いしてあげることは出来ず、自己嫌悪に陥った。

浪人生活を何不自由なくサポートしてくれた両親への申し訳なさ、1年間が無駄になったという虚無感、東大へ合格した受験仲間たちから取り残されてしまった孤独感に襲われ、長い時間窓から曇った空を眺めていた。

 

開示の結果は

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開示

合計   314.3333

最低点  314.9778

と、なんと0.6445点差での不合格となった。小数点差で落ちた人の話を聞いたことはあったが、まさか自分がとは、夢にも思わなかった。センターに換算すると約5点差。ⅡBでルート2をルート6とケアレスミスしていなければ、古文であと1つ「4」にマークしていれば... 言い始めたらきりがない。

 

この瞬間、たった0.6445点という差で、進学校→一浪→東大という王道のレールから外れてしまった。