【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記

一浪東大0.6点差落ちが、早稲田理工で仮面浪人し、ドイツ語を使って東大理一に受かったお話

Episode 9: 3度目の東大二次試験

2/3の期末試験最終日をもって、大学関係の日程がすべて終了し、”仮面を外して”一般受験生と同じルートに合流した。

 

この時点での状況をまとめると

  • 夏・秋ともに東大模試A判定
  • しかし、11月下旬ごろを最後に二次試験対策がほぼ出来ておらず
  • ドイツ語については、文法は概ね身についたものの、単語力が依然としてまだまだ

といったところ。

11月を最後に、二次試験3週間前まで二次試験対策をしていないというのは、普通に考えれば受験生的にあり得ない状況で危機感を覚えるが、まあ仮面浪人というのはそんなもの。

冷静に目標点数を設定してみると

センター 98 数 65 理 35/25 国 35 英独 80 ∑338

あたりが妥当。どの科目もそれなりに取れそうな点数で、最悪1科目大失敗しても受かりそうなラインということで、合格は手中にあると考えていた。

 

2/4 ~ 2/24 最後の追い込み期間

2月に入るまでまともに受験勉強を出来ていなかった焦り、そして色々なものを犠牲にしてきたこの1年間を無駄にしたくないという思いから、この3週間は、間違いなく人生で一番勉強したと胸を張って言えるくらい集中できた(といっても平均9h/dayくらいですが)。

 

勉強内容としては、ドイツ語を完成させることをメインに、数学・理科の過去テキスト復習+過去問をひたすらこなしていった。

 

詳しくは別投稿で特集するが、ドイツ語について。大問5(文法)についてはそこまで問題はなかったが、大問4(独文和訳)の点数がなかなか伸び悩んだ。結局大事になるのは単語力で、特にメインテーマとなる独単語がわからないと大問が吹っ飛ぶレベルで詰んでしまう。ということで、とにかく「新・独検合格 単語+熟語1800」で単語を補強する作業に徹した。

 

数学や理科に関しては、基本的には一浪までに使ってきた教材を信じて復習。過去問演習については、3年目となると流石に見たことがある問題ばっかりになってしまったので、数年前の駿台・河合の東大模試問題集をamazonで中古で買ったりした。数学ではちゃんと新課程に合わせてあったり(私の代で言うと行列→複素数に差し替え等)と、割と有用だった。

 

英語はリスニングを少しやるくらい、国語は手を付ける余裕がない、といった感じだった。

 

この時期の精神状態

必死に受験勉強している状況とは裏腹に、「本当に早稲田辞めて東大行って大丈夫か?実は早稲田2年>東大1年では?」の件について悩みまくっていた。というのも、住めば都なのか、秋学期の途中くらいから早稲田ライフを楽しみ始めている自分がいた。イベント等には全然参加しておらず早稲田の醍醐味を全く味わえていなかったかもしれないが、同クラの方々となんとなく仲良くなっていくなかで、居心地が良くなりつつあった。

他には

・どうせ同じ分野を専攻するなら、東大に行くのは1年損するだけかも

進振りに失敗すれば、今の早稲田の分野にすら行けなくなるかも

・早稲田にいればおそらく成績上位、東大に行くとおそらく成績底辺

・就活でも早稲田上位>東大下位かも

等々…

しかし結局は、ブログ冒頭で述べた仮面を希望した理由の方が強く、まあ受かったら東大に行くしかないかな、という結論に落ち着いた。頑張って早稲田2年生になる準備を整えたにもかかわらず、ここまで来てしまったら、もう東大に受かるしかないという状況になってしまった。客観的な状況を抜きにすると、自分の気持ち的に、来年早稲田に通える気がしなかった。

 

2/13

センター→大学試験→二次対策と休みなく続けて流石に疲れが溜まっていたのもあり、K君・M君と会い、なぜか高尾山に登り、合格を祈願した。

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当時撮った高尾山の写真



2/17

高3の頃の担任から、受験番号催促のメールが来た。調査書を取りに行った時の情報で知った様子。

 

2/22 二次試験3日前

焦り、そして夜型になっていた生活リズムを正す意味もあり、1日13時間くらい勉強した。タスクを全然消化できておらず、反省会ムードになっていた。

 

2/24 二次試験 前日 ~まさかのトラブル~

あまり緊張はしていなかった。というのも、流石に3週間の追い込みでは出題頻度が低い分野までは結局手が回らず、焦りしかなかった。まあ仮面なので仕方ないのだが。

そしてここで大きなトラブル?が発生する。

そんな切羽詰まった気分だったので、ギリギリまで詰め込みを行ってしまい、0時前には布団に入ったものの、恐ろしいことに目が冴えてしまって全く寝付けない

思考がグルグルと頭を駆け巡り、1時、2時と残酷に時間が過ぎていく。絶望、絶望&絶望。3時ごろになると、「こんなんで仮面までした努力が無駄になるんか」などといよいよ寝るのを諦めはじめ、「目を瞑っているだけで寝てる時の8割の効果がある」とどっかで聞いた話を信じて必死に目を閉じていた。

 

2/25 二次試験 1日目

1時間くらいウトウトしたかなといったところで起床。そこまで眠いということはないが、少し胃が気持ち悪い。ただ一つ幸運だったこととして、2017年の2/25, 26は土曜・日曜で、電車が空いていたので助かった。1浪時と同じルートで、長い並木道を歩いて二食前臨時ゲートから入場。

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龍岡門~二食前臨時ゲートの並木道

ということで試験のことを振り返ってきて行きたいのだが、実は試験中のことの記憶がほとんどない。どんな教室だったのかすら記憶がかなり曖昧になっている。現役時や1浪時、さらに私立や北大後期でも、試験室の風景、試験監督、散歩、トイレなど割と刻銘に画像記憶として覚えているのに、仮面のときだけほとんど覚えていない。単に寝不足だったからか、それともどこかゾーンに入って目の前の問題にのみ集中していたのかわからないが、それでもいつも通りに問題を解き進めていた。人間ってすごい(小並感)。

 

ご存じの方も多いかと思うが、この2017年は、問題形式・難易度の傾向が大きく変わった年である。

まず、数学は大幅易化。基本的に解くのが遅く、どんな難易度でも60~70点に収束しがちな自分には厳しいセットだった。確率(簡単め)に手を付けようとするも、ドツボにはまった昨年のトラウマから一旦飛ばした結果、他にも易問が多く戻ってくることができなかったのが痛恨だったが、なんとか3完で踏みとどまる。1日目の帰り道に軽くTwitterで検索すると、易化易化と盛り上がっており、自身の失敗を悟った。

 

 

2/26 二次試験 2日目

徹夜だったにもかかわらず、またしても昨晩に引き続きなかなか寝付けなかったが、なんとか5時間くらい睡眠に成功。

 

物理。苦手な波動、そして全く触れていなかった原子が出題されたら終わっていたが、第3問は得意としていた気体の状態変化の典型題。そこでほぼ満点を取ることができ、続いて他問でもしっかり点数を稼ぐことが出来た。物理の結果だけ先に言ってしまうと、43/60で、わかっている“気がする”だけだった現役のころ(19/60)から比べると、しっかり理数科目の素養・地力が付いたことが実感でき、もしかしたら受験生活で一番うれしい結果だったかもしれない。

そして問題の化学。「近年稀にみる簡単な問題(by河合塾」との通り、有機が大問1に移動&スーパー易化、理論も無機も易化、とやりたい放題の滅茶苦茶であった。元々化学で稼ぐ予定ではなく面食らってしまい、消化不良の出来となった。

理科終了時点の感想としては、ここまで全体的に点数がかなりインフレしており、ということはドイツ語のアドバンテージの価値が下がる…とかなり萎えていた。

 

大受験3年目、通算6回目の昼休みともなると、かなり過ごし方もこなれてくる。理系の本郷キャンパスの話になるが、受験生の数が多い建物(法文等)の男子トイレは激混みとなる。また、(2017年時点では)安田講堂前に臨時トイレが設置されるが、それすらも行列が出来る。なので私は、受験者数の少なそうな建物に目星をつけ、少し歩いて空いているトイレを使うという術を3年目にして身に付けた。(ところで私の性別を初めて明記しましたね

 

ラストの外国語。試験前に試験室でドイツ語の単語帳を開くのはなんとなく気まずかった。

ドイツ語差し替えの詳細については別投稿にて。この年はドイツ語、特に大問5の文法がやや難化しており、かなり時間を食ったせいで、1Bにしわ寄せが行き少し解ききれなかった。ただ、差し替えの裏の英語大問4が少し難化してくれたとのことで、最後の最後に運が味方してくれた。

 

かくして、東大受験という"亡霊"に憑りつかれ続けた3年間が幕を閉じた。

 

何故かわからないが、校舎を出たあたりからの記憶は割と鮮明に残っている。朝来た並木道を通り、龍岡門を出て、なんとなく本郷三丁目駅には入らずにそのまま春日通りを直進し、左にそれる急な坂(旧東富坂というらしい)を無心で下ると、東京ドームシティのジェットコースターが視界に入る。そのまま白山通りを神保町まで歩き続け、現役時にも寄ったラーメン屋に入った。

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旧東富坂から見えるジェットコースター

この時の精神状態としては、“無”という表現が一番近い気がする。ずっとつけ続けた重たい“仮面”を外して、本能的に少し外の空気に触れたかったのかもしれない。