Episode 5: 仮面浪人生活 春学期
ここまで長々と書いてきたが、Episode 5にしてようやく仮面浪人生活に突入する。
しかしながら先にお断りをしておくと、春学期は受験勉強を一切していなかった。すなわち、ただ普通に早稲田に通っていただけである。なので、仮面浪人ブログ的には特に書くことはないのだが、早稲田理工がどのくらいの忙しさなのか時間割の目安だけ紹介しておく。
春学期 時間割
念のため曜日をばらばらにしているが、だいたいこんな感じ。
1限も多く、受験勉強と両立するのはかなり厳しいと思う。
※コロナ禍により、少なくともこれから数年程度はオンライン授業が中心になると思うので、当時よりは両立の難易度は下がるかもですね
・毎週2~5限の実験があり、2014年に某事件があったせいかそれなりに厳しく、全回出席が必須(2回までは補充実験で救済)
・数学・理科系の基礎科目は、受験勉強での地力を活かして割と容易に好成績を取ることが出来た
・英語のスピーキングの授業の担当教員が、東大で言うところの「大鬼」で、基本的に非常に高圧的な態度で、欠伸をした学生に突然ブチ切れたりと、仮面生活終盤まで大きなストレス要因となった
仮面していることをカミングアウトするか問題
自分の場合、仮面先の早稲田在学中は、仮面について打ち明けることは一切なかった。そもそも自分は普通に早稲田に通うつもりだった上、春学期の頃は本当に仮面するのか定まってすらいなかったので、まあ伝える選択肢はなかった。先の話になるが、早稲田の退学手続きを済ませた3月中旬ごろに、親しくしてもらった友人数人に謝罪と感謝の気持ちを添えてカミングアウトした。
一般論として、仮面先の同クラからすれば、自分が合格して通っている大学を“踏み台”にしようとしている仮面浪人を快く思わないのは当然である。また、仮面している側からしても、やはり陰で仮面を企んでいるというのは、仮面先の友人を裏切っているような気持ちが少なからずある。よって、特段の理由がない限りはカミングアウトしないのが無難だと思う。
ただし、早稲田理工に限っては、仮面に対して割と寛容な雰囲気があると思う。というのも、一般受験組の大多数が第一志望の国立大学に落ちて早稲田に来ているからである。国立大学、特に東大への受験に対し理解を示してくれる人が多く、合格後にカミングアウトした際も、想像以上に普通に祝福をしてくれて、逆に少し驚いた。
人間関係の面では、根っからの陰キャ&人見知りなので不安だったが、ありがたいことに二外や演習で一緒になった数人に、まあまあ仲良くしていただいた。ただし、やはり仮面を企んで裏切っているような気持ちが常にあったのは事実で、そこまで深くは踏み込むことはせず、イベントなどには結局1回も行かなかった。
受験勉強はしていなかったが、心の片隅で来年はここに通わないのかもしれないなと思いながら西早稲田キャンパスライフを送っていた。何故だかわからないが、63号館2階にガラス張りのでかい講義室があるのだが、そこでの授業のときに物思いにふけるのが癖になっていて、「自分はここにいちゃいけない存在なのかな」と謎に毎週センチメンタルな気分になっていた。
サークルに関しては、月2,3回程度で緩めのサークルに入った。
受験勉強に触れないままあっという間に時間が過ぎていって、8/1に期末試験が終了し、夏休みを迎えた。成績に関しては、フル単&GPA3以上と上々だった。
Episode 4: 早稲田での仮面浪人を決意するに至った経緯
後期試験終了後、親・友人・河合のチューターさん達に相談しながら、進路を検討した。
純粋二浪は最悪今年合格した大学も不合格になって三浪となるリスクがあることから却下。本来なら北大or早稲田の二択になるはずであったのが、「0.6の呪い」のせいで、
- 北大進学(仮面はきっぱり諦め)
- 仮面はせずに早稲田進学
- 仮面しながら早稲田に普通に通う
- 早稲田に籍だけ置いて通わず仮面
と選択肢が増えてしまった。
だが、今から思い返すと、この時点で東大を受けることはほぼ決めていたように思う。その理由は主に以下の3つ。
仮面しようと考えた理由
理由①:学歴コンプレックス
色々理由を取ってつけたくなるが、結局は私は典型的な”東大コンプ”だったと思う。ただし、「東大」自体に未練があったというよりも、「東大入試」に未練があったという言い方が正しい。このまま早稲田に進学すれば、現役時に早稲田は受かっていたので、国語・センター社会の勉強、そして浪人1年間の全ての勉強が無意味だったということになる。すなわち、先行投資に対する対価が得られていない状態。理二とはいえ色々な不運が重なり0.6点差不合格ということは、今の学力を維持した上でドイツ語差し替えを利用すれば、もう一度受ければ60%くらいの確率で理一に合格するのではないかと考えていた。以上のような状況で、今更東大を諦めるという選択肢はとてもMOTTAINAIように思えた。
理由②:金銭面
まず私の家計に関して。両親の収入は、東大生の中ではかなり低いランクに位置するが、世間一般から見れば非常に恵まれていた、といったところだと思う。高校までは何不自由なく生活させてもらえたし、先行き不透明とはいえとりあえず私立の早稲田への進学を認めてくれた。
しかし、金額を書いていいのがわからないのでざっくりとした値であるが、東大と早稲田で年間授業料は120万円程度異なる。理系なので大学院まで進んだとすると700万円以上の差が出る。奨学金やアルバイトで賄うにも限界があるし、出来れば貸与型の奨学金は利用したくはない。となると、やはり仮面してでも国立の東大に、という気持ちになる。1年余計に浪人すれば生涯年収は減ってしまうが、大事なのは当面のやり繰りということで背に腹は代えられない。
理由③:課外活動
部活・サークルに関して。私は中学の頃からある競技に取り組んできたのだが、その部活・サークルに関しては東大の方がかなり実績が高く、その競技を大学でも続けたいと考えていたので、やはり東大に行きたかった。
一点補足すると、「『東大』自体に未練はなかった」とあるように、正直学業の面では東大と早稲田で大した差はないだろうと考えていた。第一希望の専攻・分野に関しては東大・早稲田共に環境は充実しているように見えたし、在学中に学べることも、就職も大して変わらないと思っていた。むしろ、母集団のレベルが上がり、進振りや院試がある分、東大の方が入ってから大変だとも見込んでいた。
しかし、上記3つの理由、特に東大コンプが大きく、頑固な性格も災いし、心の中ではどんな形であれもう一度受験しようと決心していた気がする。
ということで、とりあえず早稲田に進学することは決めた。
普通に通う or 籍だけ置く
ただ、早稲田理工の制度上、研究室配属の3年⇒4年時以外は「留年」という扱いは存在せず、1年で1単位も取得しなくても一応2年には進級してしまい、卒業要件に達しなければ5年生、6年生に進む、というあやふやな感じになっている。よって、仮面に失敗して復学したときに、扱い上は「2年生」となってしまい、馴染むことができず真っ当な大学生活を送れない可能性が高いと考えた。
(なお、「他大学受験のような復学を前提としない休学は認められません」(早稲田大学 理工学術院 ホームページより)とあるように、早稲田に関しては仮面のために休学することはできない)
また、
- 大学に通わないのに高額な学費を払う必要がある
- 仮面に失敗したら一留確定
- 二外差し替えを使いづらい
等のデメリットもあり、籍だけ置く作戦も却下した。
以上のような経緯から、とりあえず単位をしっかり取得することを最優先にして真っ当に早稲田に通いながら、仮面に失敗して引き続き早稲田に通うことになっても大丈夫程度には交友関係・リアルを楽しみ、余裕があれば東大を受験する、というスタンスで早稲田理工に進学を決めた。
もちろん、早稲田理工が素晴らしい大学なのはわかっており、実際に通ってみて「もう東大受けなくていいかな」と気が変わるくらい早稲田ライフに満足すれば、その時点でめでたく受験生活終了となる。
補足
金銭面(仮面浪人中のアルバイト)
アルバイトは一切していなかった。大学生活に受験に加えアルバイトとなると、全てが中途半端になって破綻が目に見えていたこともあり、私立の1年間の学費は全面的に両親に面倒を見てもらうことになった。その代わり、翌年以降はアルバイトなり奨学金なりで、出来る限り大学関係の費用は自分で賄ってくれ、という条件だった。支えてくれた両親には頭が上がらないし、自分の甘さを痛感するばかりである。
二外選択
早稲田理工での第二外国語選択は、東大とは異なり、制度的に自由が大きい(2年生で履修したり、2種類の言語で所定の単位を満たすことも可能)ので、必ずしもすぐに1つに絞らなくても良かったのだが、3月の時点で「ドイツ語」に決めていた。これは、まず差し替えで選択可能なのが「ドイツ語」「フランス語」「中国語」「朝鮮韓国語」のみで、早稲田理工には「朝鮮韓国語」の授業はないので、3つに絞られる。そして、差し替えの各言語の難易度について、あくまでネット情報では、ドイツがもっとも点を取りやすいと知ったからである。そして、東大受験を見据え、ドイツ語だけはちゃんと勉強しておくと決め、新学期を迎えた。
Episode 3: 後期北大受験~マインドの揺らぎ~
3/10 12時すぎ
不合格が判明したほんの数分後、翌日北大に向かうための羽田空港行きのリムジンバスを予約した。確認メールの履歴を見ると、2016/3/10 12:05。今でもそのメールを見ると心が痛む。
結果から先に言うと、わざわざ北海道まで受験しに行ったにもかかわらず頂いた合格を蹴る形となるわけだが、この時点では仮面しようとは全く考えておらず、北大及び受験した学科に大きな魅力を感じていたので、考える時間もないことだしとりあえず受けに行ってから先のことを考えようというスタンスだった。
3/11
スーツケースを引っ張ってリムジンバスに乗車。ところが、やはり不合格から昨日の今日で異常な精神状態だったからか、ひどく車酔いをしてしまい、めちゃくちゃしんどかった。羽田空港で休んでいるうちに少し回復し、無事飛行機には搭乗できた。
新千歳空港着陸後、スマホの電源を入れると、親から開示の写真が送られてきていた。見ると、0.6点差落ち。しかし、昨日散々悲しんで、不合格という事実は受け入れていたからか、0.6点という数字にショックを受けるということはあまりなく、むしろ「自分はこんなに頑張れていたんだ」というポジティブな気持ちの方が大きいくらいだったと思う。二次国語で1問間違えた漢字を正解していれば、漢文が漢詩ではなければ、センターⅡBの計算ミスで失った6失点がなければ、後悔を始めたらキリがない。この時の、空港の大きな窓から眺めていた雪解けの始まる滑走路の風景は、今でも割と鮮明に覚えている。
快速エアポートで札幌に移動し、ホテルにチェックイン。その日はちょうど東日本大震災から5年という節目で、NHKをつけて追悼式典を見ていたことを覚えている。
その日の夜のLINEの会話履歴について。ここから先、共に二浪を闘っていくことになるK君(医学部志望)と話していたのだが、後期前日のこの時点ですでに「もう1回やりたい」「2年もやってきてこんな終わり方はあまりにも悔しい」とか話していて驚いた。(まだ仮面には言及していない)
3/12 後期試験当日
足元がアイスバーンになっていて滑りやすい中、普通のスニーカーで来たことを後悔しながら、なんとか会場へ。
科目は理科1科目(化学選択)・数学のみで、どちらも100%という出来ではなかったが、無難にまとまり、合格を確信してホテルに戻った。
その日の夜は、実は私は少し北海道にゆかりがある人間でして(だから北大を受けたわけですが)、知り合いの方々と食事したりなどした。東大不合格から2日しか経っていないのに、受験の世界とはあまりにも異質な空間にいる自分をふと認識すると、脳がバグりそうだった。
その日の夜にまたLINEで話していて、ここで初めて、M君から二外差し替え案を提案されていた。この提案がなかったら、もしかしたら仮面をしていなかったかもしれない。
3/13
知り合いと別れた後、空港へ。呑気にお土産を選んだりもしていたが、実はこの時点で、「やっぱりもう一度受けよう」というマインドに変化していたのが、空港の風景とともに強く記憶に残っている。
主に精神的な面で、あまりにも濃密な北海道遠征が終了した。
Episode 2: 一浪時代~東大0.6点差落ち~
1学期
河合塾本郷校のハイパー東大理類コースに入塾しました。
現役の反省として、数学と物理の勉強が付け焼刃で、入試本番という極度の緊張感の中では太刀打ちできないというのが最大の問題でした。大学に入学して理系の人間として生きていくなら、その基礎となる高校数学・高校物理は根本から理解していなければならないと考え、時間はかかっても河合の授業についていき、解法暗記ではなく、基礎の思考力を養おうと授業に臨みました。
授業は9時からですが、毎日8時5分ごろ登校し、303教室の一番左の列の前から6番目に座る。眠気覚ましがてら、授業まで化学の新演習をやる。そんな感じで淡々と授業についていき、割と順調に1学期が終わりました。
そういえば浪人友達はみんな駿台に行ってしまったので、河合ではずっとぼっちでした。
ぼっちでも大丈夫な人間()なので、特に問題はなかったです。
月1くらいで、友人たちとサイゼで駄弁るのが人とコミュニケーションを取る唯一の機会でした。
夏は講習を全く取らなかったので、ひたすら自宅と近くの図書館で勉強していました。
メインは1学期の河合のテキストの復習で、数学・理科はとにかく典型題を網羅したテキストを何度も何度も解いて、基礎の土台を磐石なものしようと努力しました。他には理科過去問、センター国語、地理などをやっていきました。
朝10時ごろおきて、フルーツゼリーだけ食べて、夏のかんかん照りのアスファルトの道を歩いて、近くの図書館へ。図書館では主に過去問など時間を計って集中してやる系をこなし、14時ごろになると本屋の参考書コーナーに立ち寄ったり、スーパーをうろうろしたりしてから帰宅し、ご飯を食べ仮眠をとります。そして18時ごろから自宅で勉強を開始し、深夜2時ごろ就寝。おそらくこの夏休み前半が受験生活の中で最も健全に勉強できていた時期だと思います。
そして東大模試の季節へ。結果は
第1回東大実戦
英語 50
数学 55
国語 --
物理 27
化学 18
総合 200台 ( A )
第1回東大オープン
英語 62
数学 62
国語 --
物理 28
化学 27
総合 210台 ( A )
と、実戦は微妙ですが一応両方A判定と、まずまず満足いく結果を出すことが出来ました。
このまま成績が伸びていけば、間違いなく合格できる、そう思っていた時期が私にもありました。()
東大模試が終わった8月後半、それまで頑張れていた反動からか、机に向かうのが辛くなってきました。1日平均5時間程度しか勉強できていなかったと思います。そんな感じで少し不安を残しながら、勝負の夏を終えました。
2学期 ~スランプ~
1学期と同じように淡々と過ぎていきます。河合の授業も演習が中心になっていきます。
しかし、この時期からなぜか変なケアレスミスが増えてきました。また、勉強しようとすると頭が重くなり、あまり集中できない日が多くなりました。原因は何だったのかよくわかりません。夏の東大模試でA判定が出て安心してしまったのか、元来長時間勉強できない自分が4月から頑張ってきた反動で疲れてしまったのか。
もしくは「焦り」だったのかもしれません。地力のなさを露呈した現役の入試の反省から、時間がかかってでも目の前のその1問を確実に完答できるように取り組んできました。夏までに基礎を固めた結果、解ける問題は格段に増え、比例して点数も上がってきました。
しかし、試験時間内で解ける量の上限まで成長してしまったので、あとはいくら解ける問題が増えても、点数自体はかわらず、成績が上がらなくなる時期に入ったということでしょうか。それが焦りに変わったのかもしれません。
そんな不安定な状況で秋の東大模試シーズンを迎えました。
第2回東大実戦
英語 48
数学 44
国語 25
物理 14
化学 32
総合 163 (D)
第2回東大オープン
英語 57
数学 44
国語 22
物理 35
化学 20
総合 178 (C)
ど う し て こ う な っ た 。
数学はケアレスミスで大問まるごとふっとぶ、解けたはずの問題を後回しにしてしまうなどで崩壊。
物理も水平面の問題でなぜか鉛直面だと勘違いするなどミス多発で崩壊。
地力は確実についてきてたはずです。なのに試験では何かうまくいかない。この言葉は負け惜しみみたいで使いたくないですが、正直スランプだったと思います。
センター試験
そんなかんじであっという間にセンター対策を始める時期がやってきます。
困ったのはやはり、センター国語です。最大の問題は時間不足です。漢文から、古文から、評論から、などなど解く順番を試行錯誤しましたが、どうやっても最後の大問を解く時間が5分くらいしかなくなってしまいます。
ということで、仕方なく古文を捨てることに決めました。実は古文は本文を読まなくても単語・文法の知識だけで答えられる問題が半分ほどあります。そこだけはしっかり答えて、残りの読解問題は、近年の答えの傾向を分析して、全て「4」にマークすることに決めました。これで25点程度稼いで、残りの大問1,2,4で時間を使って高得点を取る、という戦略にたどり着きました。
他の科目はまあそれなりに過去問等で対策しました。
センター1日目
地理を無難に終えた後の昼休み、急いでおにぎりとフルーツを食べ、心を落ち着かせるため広大なキャンパスを散歩した。大丈夫国語の過去問は誰よりもやったと心で唱える。
そして国語。悲劇の始まりである。
予定通り漢文⇒論説⇒小説の順番でやったが、なにか思考が噛み合わない。昨年の2次の物理の時のような、ふわふわした感覚に襲われながら解いていく。そして、いつもは絶対時間ぎりぎりになるはずが、古文に15分ほど時間が残った。予定外ではあるが、古文に本腰を入れる。しかしここで、古文が分量は多いが信じられないほど易化していることに気づく。焦って読むが、分量は多いため全然解き終わらない。読解問題は全て「4」にマークする予定だったが、最初の1,2問は解く事ができて、どちらも「4」であったから、解ききれなかった残りの問題は「4」以外の数字で適当にマークした。試験終了。
結果から先に言うが、なんとこの年は古文の読解問題の答えは、1箇所を除いて全て「4」というまさかの偏りだった。しかし、中途半端に解く時間があったせいで、大半を「4」以外にマークし、大きく点数を落としてしまった。皮肉にも、予定通り全く文章を読まずに全て「4」にマークしていれば高得点であったというなんともいえない結果となってしまった。
そんな偶然に頼るなよと言われたらそれまでだが、それにしても運に見放されていた。
古文以外も嫌な予感どおりボロボロと失点し、どの大問も40点を切るという事態となった。
1日目試験終了後、採点はせずとも超易化した国語でやらかしてしまったと悟っており、吐き気がするほど苦しかった。
21時過ぎに東進の解答速報が出て採点。結果は国語133。初日全体で99失点という悲惨な結果となった。
浪人友達のLINEグループで出来る限り悲壮感がでないように国語の大失敗を伝え、励ましの言葉をもらい、早めに就寝。
センター2日目
1日目がちょうど99失点だったので、2日目は出来る限り1失点以内でいって800点台をキープしようと勢いを持って臨む。
その意気込みのおかげか、IAを満点でしのぎ昼休みへ。
前述の通り私は解くスピードが遅いので2Bは鬼門です。
かなりの意気込みでⅡBスタート。頭の回転がフルスロットルで、解いている自分が自分ではないような感覚に陥る。
順調に進んだが、最後のベクトルで躓く。ぎりぎり最後までマークしきって試験終了。
しかし、その後の休憩時間で、ルート6と書いていたところが計算ミスでルート2ではないか疑惑が生じる。よくわからない。LINEで狼狽する。
切り替えて理科へ。
化学が明らかに難化していたが何とか堪え、試験終了。
自己採点は780/900。国語の大失敗がありながら、なんとか足切りは問題なさそうな点数で落ち着き、2日目を21失点で乗り切った自分を少しほめる。
(この時、ⅡBのルート6のケアレスミスで失点した6点が後々大きな意味を持つことは知る由もなかった)
その日の夜は、早稲田・慶應の願書を書き、2時ごろ寝た気がする。
直前期
センター翌日。この日のことは鮮明に覚えている。なぜならば、大雪だったから。
電車はダイヤが大幅に乱れていたので、通勤する父親の車に同乗し河合本郷に向かう。
時間通りに着いたが、時間の9時になっても、100人以上いるはずの教室には10人かそこらしかいなかった。
その後河合本郷から神保町へ移動。相変わらず電車は激混みで、3本ぐらい待ってようやく乗れた。神保町駅に着くと、まず私立の受験料の支払いのため銀行へ。それから出願のため郵便局へ。この時、調査書を早稲田と慶應で逆に入れてしまったのではないかと不安になる。
出願を済ませ、駿台2号館へ向かい、センターリサーチを提出。
その後は東進の東大模試を受けたり、国立前期・後期の出願を決めたりしつつ、2次対策を進めていった。
理1or理2は激しく迷ったが、結局背に腹は変えられないとのことで理2に出願。
後期も北大or横国で迷い、結局北大に出願。
(後から考えれば、この迷っている時間で勉強していれば、、、)
必死に2次対策をしていたと思うが、正直この時期どんなことをやっていたか全然覚えていない。
講習等もほとんど取っていなかったはずだし、家か図書館に篭って勉強していた。
そして、あっという間に2/12、慶應理工の入試日を迎える。
会場は、コンクリートむき出しで殺風景な、狭い教室の最前列。
最初は理科。交流発電機が出たり、東大では出ない高分子の細かい知識が聞かれたりしてビビったが、無難にまとめる。
数学。難しい。計算が重く、複素数が難しい。微妙な出来に終わる。
最後は英語。英語はグノで培った多読がモロに活きる典型的な長文問題ばかりの私立型なので、高得点が期待できた。本番も特に問題なく、満足な出来で終えた。
試験終了直後は、まあ受かっただろうなと思っていた気がする。
そのままの足で帰宅するとラッシュ直撃になってしまうので、武蔵小杉のサイゼリアで少し時間をつぶしてから帰った。
帰って自己採点をすると、物理・数学で細かいミスが多発していることが判明。こんなんで東大受かるのか、と自信が揺らぐ結果となった。
続いて2/16、早稲田理工。
昨年と同じく、混雑を見越して高田馬場駅から本キャンに歩いて向かった。
予め断っておくが、後々この大学に入学して1年間お世話になるにもかかわらず、入試のことはなぜかあまり覚えていないのです。
割と広めの教室。
最初の科目は数学。難化した昨年に比べると、かなりの易化。し、か、し、全然解けない。早稲田理工の数学は相性が悪い。難しめのはずの整数を時間をかけて完答したものの、超易問の大問を空間図形だからという理由だけで捨ててしまう。他は完答なくそれなり。
続いて理科。事件発生。物理が超絶難化。計算が重過ぎる、設問数が多すぎる。とても60分で解ける代物ではない。全然解けずに化学へ。化学は無難にこなして終了。
理科が終わった瞬間、不合格を確信した。しかし、大教室の受験生の雰囲気が明らかに重くどんよりしていた。なのでワンチャンあるかもとは心の底で思っていた。
英語。大問1、2の長文問題をじっくり解く。残り時間で他の文法やパラ整など解けるとこから点を掻っ攫っていく。試験終了。
帰宅する時の記憶が全くない。不合格を確信して意識が朦朧としていたのだろうか。
早稲田に落ちること自体よりも、早稲田に落ちるやつが東大に受かるわけがないという絶望感が強かった。
東大 二次試験
2/25 1日目
5時半ごろ起床。念のため早めに家を出る。
使い慣れた春日駅で一度下車し、いつものホーム端のベンチで気持ちを落ち着けてから、本郷三丁目駅へ向かう。
現役の時とは違い、今年は龍岡門→2食前臨時ゲートというルートでキャンパス入り。当然少し時間はかかるが、ゲートまで歩きやすいまっすぐの並木道が続いており、受験生もほとんどいなかったため、朝の散歩感覚でリフレッシュすることが出来た。
まずは国語。いつものように漢文から解き始めるが、なんと漢詩。一応対策はしていたつもりだったが、内容も難しく、満足な解答は作れなかった。この時、漢詩の失敗が後々大きな意味を持つことは知る由もなk(ry
古文、現代文は無難にまとめて昼休みへ。少し疲労を感じたので、30分程度寝る。
そして数学。とりあえず確率から…と巴戦の問題から解き始めるが、20分かけても一向に成果が上がらず....といったあたりからあまり記憶がない。
試験終了後、どっと疲労感が押し寄せる。頭痛が痛い。ダメっぽいけど足掻いてるのが一番疲れるのかなと思いつつ。フラフラになりながら帰宅。夕食後も倦怠感が続いていたので、体温を測ってみると、37.5℃。この本番で体調不良かよ…と絶望しつつ、22時ごろにはなんとか就寝。
2/26 2日目
8時間ほど寝れて、体温も平熱に戻る。とりあえずは安心したが、1日目夜にしようと思っていた最後の詰め込みが出来なかったのが一抹の不安。1日目と全く同じルートで会場入り。
理科:いつものように割と得点源にしていた有機から解き始めるも、難しい&重たい問題で時間を無駄に浪費する。河合塾の講評にも「今年は第3問の有機の問題が難しかったので、有機から解答した受験生は不利になったと思われる」とあり、センター古文に続きここでも運がなかった。物理は交流が出たり若干イレギュラーだったものの、ボロボロだった昨年とは違いまずまず地力を出せた。
英語:昨年と同じくらい難しい。手応えなくあっという間に試験終了。
LINEの履歴に残っているリアルな感想としては、
・良い科目が1つもない
・もうちょっと出来るのかなと思ってた
・そんなに開放感がない
なんてことを思いつつ帰宅。
早稲田の合否を確認。正直厳しいと思っていたが、合格。よくわからない。
合格発表までの期間は、浪人友達と遊んだり、再現答案を作りながら自己採点をしたり、後期の勉強をしたりしていた。当時は「当選確率3割の宝くじの結果を待つイメージ」だったらしい。
3/10 合格発表
自室の勉強机に座って、サイトの混雑により携帯サイトから確認。番号はない。散々待った割には、なんだかあっけなかった。
LINEで浪人仲間に不合格の旨を伝えると、一緒に東大を受けた二人から合格の報。祝福のコメントをしたが、当然人間なので心の底からお祝いしてあげることは出来ず、自己嫌悪に陥った。
浪人生活を何不自由なくサポートしてくれた両親への申し訳なさ、1年間が無駄になったという虚無感、東大へ合格した受験仲間たちから取り残されてしまった孤独感に襲われ、長い時間窓から曇った空を眺めていた。
開示の結果は
合計 314.3333
最低点 314.9778
と、なんと0.6445点差での不合格となった。小数点差で落ちた人の話を聞いたことはあったが、まさか自分がとは、夢にも思わなかった。センターに換算すると約5点差。ⅡBでルート2をルート6とケアレスミスしていなければ、古文であと1つ「4」にマークしていれば... 言い始めたらきりがない。
この瞬間、たった0.6445点という差で、進学校→一浪→東大という王道のレールから外れてしまった。
Episode 1: 現役時代
都内の某中高一貫校に通っていました。
高1まで
特に厳しい部活でもなかったのですが、大して勉強するわけでもなく、定期試験が来たら夜更かしして乗り切るといった感じでした。
高1の終わり頃から周りが塾に行き始めたので、つられて私も駿台に通い始めました。簡単な入塾テストを受けてスーパーαの認定をもらい、お茶の水1号館で数学と英語の授業を取りました。正直よく覚えてません。
第3回高1全国模試の偏差値は
英語 60.5
数学 57.6
国語 55.9
総合 60.0(理一:D)
と、合格ラインからは程遠い学力でした。
高2
数学は引き続き駿台お茶の水3号館の雲K先生の授業を取りました。また、英語でGNOBLEという塾に通い始めました。
正直大して勉強してなかったです。塾以外では、学校の実力テストや塾の模試にあわせて、数学青チャートをやったり、漢文の句形を覚えたりした程度だと思います。しかしどれも身につくほどやってはいなかったと思います。言ってしまえば、まだ「受験生」になれていませんでした。私の怠惰な性格に起因する、このスタートダッシュの遅れが最後まで影響した気がします。
高2の成績ですが
6月駿台 第1回高2全国模試
英語 52.6
数学 65.6
国語 53.7
総合 59.8
2月駿台 高2東大レベル模試
英語 63.1
数学 58.3
国語 49.0
総合 59.4
と言った感じです。
数学・国語はやや↓、英語はグノのおかげで一気に上がり、全体としては偏差値60程度で変わらずでした。
当時はあまり危機感がなかったですが、今から見ると英語は人並みになった、数学国語はダメダメ、理科は全く手付かず、ですでに赤信号でした。
高3 1学期
高3に入ると、周りもいよいよ受験生モードになります。
しかし、これから何度も書くと思いますが、私には1日10時間とか勉強するのは無理でした。結局最後まで平均1日6~7時間だったと思います。
そんなの甘えだろと思われるかもしれないですが、無理なんです。たとえある日12時間勉強したとしても、翌日は疲れきって全く頭が働かなくなってしまいます。
というわけで、勉強が遅れているなとは自覚しつつも、ゆっくりと進んでいきます。
塾は高2と変わらず、駿台で雲K先生の数学、グノで英語を取っていました。
夏の東大模試は
第1回東大実戦
英語 71
数学 29
国語 21
物理 23
化学 8
総合152 (E)
第1回東大オープン
英語 60
数学 49
国語 18
物理 22
化学 20
総合 169 (Dの上半分)
駿台の数学相性悪すぎでした。
にしても、英語以外オワッテマスネ…
高3 2学期
実はあまり2学期の記憶がありません。たぶんそんなに勉強できてなかったと思います。
秋にかけて、2次対策がぜんぜん終わっていないのに、センターの対策もしなければならない時期が来てしまい、焦りで精神的に不安定でした。
そして秋の東大模試ですが、今でも一番印象に残っているほど悲惨な出来でした。
第2回東大実戦
英語 52
数学 13
国語 22
物理 20
化学 16
総合 123 ( E )
第2回東大オープン
英語 47
数学 61
国語 33
物理 20
化学 22
総合 183 (D)
こんなんでもまあ最終的には東大受かるんだから、人生わからないものですね(悟)。
高3 センター試験まで
冬休みに入ると、100%センター対策になり、地理は黄色本周回、他はひたすら過去問をやりました。
苦手なセンター国語はとにかく時間計って演習しましたが、なかなか向上しません。というより、結局2浪目になっても苦手なのは変わらず、ずっとつきまといました。人生でもう2度と受けたくない試験を問われたら、センター国語と即答するレベルです()
センター1週間前に友人とセンターの会場の下見に行きました。
なぜかその日の記憶がとても強く残っています。
というのも、会場が東大駒場キャンパスだったからです。昼下がりの午後、一番奥の座禅の部室を見たり、東大入学後スポ身で使うことになるグラウンドにちょっと入ってみたり。とても静かで落ち着いた雰囲気だったのを覚えています。
現役は駒場キャンパス1号館の2階で受験しました。今でも授業でその教室の側を通ると、とても感慨深くなります。
結果ですが、元々勉強が追いついていない上に、センター対策も11月の終わりから始めたほどなので、当然良い成績も取れるはずもなく、752/900でした。
出願はこのセンターの結果にも関わらず、理1に出しました。バンザイシステム君はもちろん腕組み。うちの高校は浪人に割と寛容なのもあり、半ば浪人してもいいやくらいの気持ちだったかもしれません。私立は試験慣れの意味で早稲田理工にだけ出しました。
淡々と過去問をこなし、入試1週間前ごろ本郷キャンパスに下見に行き、当日を迎えます。
現役 東大二次試験
1日目
(なぜか、ですます調消えます)
そこまでの緊張はなかった。『東京大学を受ける自分』に陶酔していた気がする。家から本郷キャンパス1時間半ほどかかるので、6時半ごろ家を出る。新宿のコンビニでおにぎりを買う。中央線でお茶の水へ向かい、駿台やグノーブルを視界にいれ、パワーをもらった気になる。そして地下鉄に乗り換え根津へ。
正門の人ごみを避けるために、根津駅からキャンパスに向かい、弥生門から入構。
国語は可もなく不可もなくといったところで、35前後と予想。
昼休みは荷物を持って不忍池へ向かい、ベンチで友人と次の数学の話をしながら昼食。「もし数学30点切ったら、明日来ないわーw」などと言った覚えがある。
数学開始直前、外を散歩しすぎたせいか、花粉症で鼻水が止まらなくなる。やばい、と思って試験開始を待っていたが、試験が始まってみると、知らぬ間に鼻水は止まっていた。結局ティッシュは使わなかった。人間ってすごいね。
肝心の出来は、まずまず。試験直後は3完1半70点と予想し、終了後も少し興奮気味だった。明日は鉛筆、明日は鉛筆、と唱えながら帰宅した。
しかし、私は心が弱い人間なので、見てしまった。ツイッターを。答えの図が違う。そして、整数の論証も勘違いがあったことに気づく。
この時点で1完3半。さすがに今気にしてもしょうがないと、理科・英語の最終チェックをして、早々に寝た。
2日目
雨が降っていたが、前日と同じルートで着席。
勝負の理科。解答用紙の切り取りを正しく行い、有機からとりかかる。
圧倒的難化。
化学大門2をさらっと埋め、焦りながら物理へ。
この時の精神状態は、なんと形容したらいいのかよくわからない。ふわふわしていた。
解き始めるが、答えが全然しっくりこない。大問の中盤で詰まってしまう。それを3回繰り返す。もうわけがわからない。パニック。
物理に90分かけるつもりが、60分程度で詰んでしまったので、仕方なく化学大問1へ。
そこまで難しくはなく、着々と計算していき、試験終了。
この時点でほぼほぼ不合格を悟った。
この日は冷たい雨だったので、友人と法文1号館の吹き抜け?あたりで軽く話し、教室へ戻った。
英語で80点以上が必要とわかっていたので、気合を入れて望んだ。
大幅難化。リスニングが非常に難しく、選択肢も増え、ほぼあてずっぽう。要約も長文も長いしめちゃくちゃ難しい。パラ整の途中で試験終了。
友人と合流し、神保町へ移動してラーメンを食べる。この時点の頭の中の事故採点は290点ほど。落ちたな、と思いながらラーメンを食べていた。
帰宅して、早稲田理工の合否を見ると、合格。
その日のうちに自己採点を済ませ、不合格を改めて確信して、長い1日が終わった。
合格発表まで
後期は出願していなかったので、何日か遊びつつ、駿台と河合塾から資料を取り寄せ、どっちがいいか検討する。合格発表前だというのに、河合塾に不明な点を電話で問い合わせた記憶がある。
そして3月10日11時50分ごろ、スマホで自分の番号がないことを確認した。そこまでのショックはなかった。
開示結果は
国語 38
英語 62
数学 48
物理 19
化学 31
計 289.9111 (-33.0445)
と、数学・物理が致命傷となった。
このブログについて~仮面浪人体験記~
※10/30更新 案の定更新ペースが大幅に落ちていますが、気長にお待ちください
体験記リンクまとめ(現在Episode 10まで更新)
Episode 1: 現役時代 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 2: 一浪時代~東大0.6点差落ち~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 3: 後期北大受験~マインドの揺らぎ~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 4: 早稲田での仮面浪人を決意するに至った経緯 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 5: 仮面浪人生活 春学期 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 6: 仮面浪人生活 夏休み - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 7: 仮面浪人生活 秋学期 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 8: 仮面浪人の山場~大学の期末試験とセンター試験の両立~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 9: 3度目の東大二次試験 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 10: 仮面浪人 合格発表 ~ドイツ語差し替えの成果~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 11: ありがとう早稲田、こんにちは東大。 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
はじめまして。
このブログでは、私自身の仮面浪人の経験から、仮面浪人のリアルを事細かに語っていきたいと思います。
私は現在東京大学大学院の修士1年です。どうしてM1になってから受験時代のブログを始めたかと言うと、大学合格後、ストレートで卒業をして初めて、(本人の気持ちは別にして)仮面浪人の「成功」と言えるだろう、という認識を持っていたからです。なので、無事に卒論を提出し、4年で大学を卒業した今、この記事を書いています。
私自身、今までブログといふものをほぼ書いたことがなく、拙い文章になってしまうだろう点はご理解いただければと思います。
経歴
はじめに私の経歴をご紹介したいと思いますが、語るよりも東大の成績開示を見てもらった方が証明にもなるし手っ取り早いと思うので貼ります。
簡単に経歴を列挙すると、
1浪 河合塾本郷校で浪人
2浪(仮面) 早稲田に通いながら受験勉強
です。3年も受験生でいるだけでも人より経験量は3倍なのに加え、0.6点差落ちからの仮面浪人と、自分で言うのもなんですが、コンテンツ力は高いです。
一方で、見ればわかる通り、正直失敗ばかりの受験生活でした。
なのでこのブログは、よくある『東大合格の秘訣!』『おすすめの参考書』のような指南ブログではなく、あくまで失敗を含め、私のありのままの様子を記すブログになります。
ブログの目的
このブログの目的は主に2つで、
①私自身が忘れる前に受験記を残しておきたかったから
②私と同じような事態に直面した受験生の参考になって欲しいから
です。
よって、定期的に読んでいただいてリアクションをもらいたいとか、人気ブロガーになりたいとか、そんな意志は全くありません。
メインは②で、私自身、特に情報が少ない仮面浪人時代に、ググって数々のブログにたどり着き有益な情報を頂き、勇気付けられていました。無事合格を果たした今、私自身もその“恩返し”がしたい、と思い立ちブログを開設しました。
東大入試について、早稲田理工について、仮面浪人について、ドイツ語差し替えについて、ググってこのブログにたどり着いた方に参考になれば幸いです。
ブログの方針
まず、もう4年も前のことなので思い出す意味も込めて、仮面浪人の1年間を含めた受験生時代について、私自身の私情入りまくりの日記調で書いていきたいと思います。今途中まで書いているのですが、無駄に長い&自分に酔い切った文章になっていて、「自分語り乙」不可避な感じになっているので、まあ見たい方だけ見てください。
体験記リンク(現在Episode 10まで更新)
Episode 1: 現役時代 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 2: 一浪時代~東大0.6点差落ち~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 3: 後期北大受験~マインドの揺らぎ~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 4: 早稲田での仮面浪人を決意するに至った経緯 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 5: 仮面浪人生活 春学期 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 6: 仮面浪人生活 夏休み - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 7: 仮面浪人生活 秋学期 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 8: 仮面浪人の山場~大学の期末試験とセンター試験の両立~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 9: 3度目の東大二次試験 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 10: 仮面浪人 合格発表 ~ドイツ語差し替えの成果~ - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
Episode 11: ありがとう早稲田、こんにちは東大。 - 【早稲田⇒東大】仮面浪人体験記
それが終わり次第、仮面浪人に関して項目別に詳細を記述していきたいと考えています。今の想定では
- 仮面浪人で注意すべき大学の制度・書類関係
- 2浪+仮面後の東大生活
- ドイツ語差し替えについて
等々を考えてます。
それらが終わったら、まとめたものをYouTubeにアップしようかなんて模索していますが、まだ未定です。
最後に。出来る限り匿名性を保って書くつもりですが、私に近しい人が見れば『これあいつじゃんw』ってなってしまうと思います。もし気づいてしまってもそっとしておいてあげてください() 。よろしくお願いします。